聞いた、見た、やった

色々なことを自由に書きます

13年という旅路の果て【魔法少女まどか☆マギカ:ワルプルギスの廻天】

実は公開二日目とかには観に行っていたりしまして。

ただ公式からのネタバレ禁止とかもあって、別にそこまでがっつりネタバレをするつもりはなかったけれど、ぼくのテキトーな感想でみなさんの楽しみを奪ってもなぁと思いまして「感想は解禁後にさらっと書こ~」と軽い気持ちでおったわけですが。

その間にXとかNoteとかはてなブログとか、いろんなところから漏れ出てくるみんなの感想をちょっとだけ拾い食いしたりしていたら、なんかみんな深々と感想やら考察やら13年間溜め込んだ激重感情を言語化してぶつけてくるんですもん。

なのでぼくは今とても頭を抱えております。この流れであっさい感想書いても良いもんかって。

 

でも微に入り細に入り考察するとか、凄まじい熱量の言語化をするとかはちょっと無理です。

だって観た当初に思ったことが「やっと終われたんだな」なんだもん。

正直本編も待たされたけどそこそこキレイな終わり方をして、そこから新作やりますってなってから叛逆で新しいストーリーが生まれちまって、こっからどうすんねんみたいな呪いがかかってから13年ですよ。

13年って。オデュッセイアより長くうろちょろしてんじゃねぇかって話です。

いやエヴァはもうちょっと長かったけど……。まあそれは良いじゃん。(ぼくは新劇場版から入りました)

 

そんな中でお出しされたものが一応は風呂敷を畳んでくれたんだから、もうこれ以上は望むべきではないのではなかろうか。

最後のほうで新たな火種が生まれたような気もしないでもなかったですが、もうそれはそれ。あとはマギカロギアでやってくれ。

ぼくの中ではこの旅路はここで終わりにしても良いんだと思えた作品でした。

そして全てを清算して新たな旅路に向かっても良いんだと言ってくれているような気がする。

沈む太陽を追いかけて、ね。

 

とはいえちょっと演出の味付けは濃いめだったし、尺の配分がちょっとおかしい気もするし、ラストバトルよりも序盤の戦闘を盛り上げ過ぎたのではとも思うし、意味分かんない部分もあるし、細かいことはつつけば一杯ありますけども。

まあそんなもんは13年間の呪いが解けたことに比べれば些事だよ。

ちょっとまた新作とかやり出したら感想覆っちゃうかもしれないけど、現状はちゃんと卒業させてくれてありがとうという気持ちでいっぱいです。

 

……と浅い感想を書いていて思ったんですが、この作品で内容に触れずに感想を話すのムズイって。

ということでどうしても書きたかった内容に触れる部分は古のネット仕草で伏せさせていただきます。(続きからで折りたたむと記事に直リンで飛んだ時に開きっぱになってしまって無意味なため)

 

正直ぼくが前作で感じていたここちょっとどうなのポイントがほむらサイドの感情だけで全てが進んで、しかもその行動が割と正当化される作りになっていたというところで。

そういうポイントが今回ちゃんと責められていて、間違っているんだけどそうするしかなかったとなっていたのは大変良かった。

あとほむらがまどかを正攻法で引き留めることに挑戦するというのも良かった。

前作は完全に不意打ちで、かつかなり悪辣な手で引き留めを図ったのが、今回は正攻法で、そしてまどかの意思でもって結末に至るというのが良かったですね。

結果は望んだものにはならなかったかもしれないけれど、二人に必要だったのは止めるために行動するということ、それを受け止めた上でどうするか答えることだったんだなと。

ラストについては想像の余地を残す形になっていて明言はされていないけれど、どちらに転んだとしてもそれが二人の意思をぶつけ合った末の結論なのだとしたら納得せざるを得ないよなと。

総じてこれで完結であれば、ぼくは大満足です。

少なくともぼくはもう彼女たちの物語の続きは追わないと思います。

と、書くとちょっと悪い言葉に見えるかもしれませんが、ぼくの中ではちゃんと彼女たちの物語が終わってくれたという納得感から出る最大級の褒め言葉です。

 

くぅ~疲れましたw これにて感想終了です!

本当の本当に終わり。

 

丁寧な生活は健全な肉体に宿る

ちょっと前にはてな界隈で丁寧な生活についていろいろと語られたりした時があったじゃないですか。

まあ丁寧な生活の是非だったり、定義についてだったり、実行できるできないの話だったり。

ぼく自身もその時に丁寧な生活について考えてみました。

それで思い至ったのが今回のタイトルというわけです。

 

そもそも丁寧な生活ってのが、まあなにをもって丁寧とするかみたいなところがあるんですが。

とりあえずここではぼくが思う丁寧な生活を前提にお話させていただきますね。

ぼくが思うに丁寧な生活ってのは「生活するのに時間と手間を惜しまない」ことだと思うんです。

たとえば食卓に花を飾ったり、出汁にこだわって料理を作ったり、Yシャツをクリーニングに出して完璧に仕上げてもらったり、革製品の手入れをしたり、台所用漂白剤で水筒を除菌したり……。

まあ人によっては当たり前やろみたいな部分もあるとは思うんですけど、これを大掃除とか年何回のイベントでこなす感じじゃなくて、定期的に生活に取り入れることなんじゃなかろうかと。

そりゃぼくだってたまには出汁から料理作るし、水筒も除菌するよ。毎週とかはせんだけで。

 

ただ日々の生活にこういうゆとりを取り入れるとなるとまあ大変です。

現代人は圧倒的に時間が足りませんからね。

むしろこういう手間をなくすことに全力を注いで技術を進めてきたわけですから。

 

そしてここから本題なんですけど、自慢じゃないんですがぼくはすぐお腹がぶっ壊れます。ええ。なんなら今もちょっと痛いです。

しかも頭痛持ちでもあります。低気圧ですぐダウンするし、肩こりでもなるし、映画も観過ぎたらなるし、寝すぎてもなるし、枕変わってもなるし……。

要はかなりイレギュラーに体調が悪くなるってことです。ヤンナルネ。

 

さてそうなってくるともう予定は総崩れです。

せっかく出汁からご飯作ろうと思っても身体が動かなかったり、食べても即トイレ行きになる可能性があったりします。

水筒の除菌がそのまま漬け置かれて、しばらく救出できない可能性もあります。

単純に手間をかける時間がないということもありますし、手間暇が予告なく台無しになる可能性もあります。

 

しかもこれがまあまあな頻度で起こります。

ちなみに月曜からずっとお腹痛いし、火曜辺りから頭痛もしています。現在進行形です。

幸いなことは多少薬が効くのと、本当にマジで辛い症状の人よりはマシなレベルの症状ということでしょうか。

それでもまあ症状が出れば普通に生活を送るってレベルではないんですが。

なので丁寧な生活を送れるってことはかなり健康的で恵まれた肉体を持ってこそできることだと思うんです。

 

とはいえまあ別にぼくは丁寧な生活を送りたいとはこれっぽっちも思ってはいないので、丁寧な生活を送れないことをどうこう思うつもりはあんまないんですけども。

ただぼくがこの話題を見た時は「ある属性の人は丁寧な生活は送れないよね」みたいな対立煽りの記事だった記憶がありまして。

それを見た時に正直その属性以前に日々の生活時間をトイレやベッドで回復することに努めている奴が居るんだぞと思ったことを先ほどトイレで思い出し、ふつふつと感情が湧き上がった結果、今回の記事を書いておりました。

 

ちょっと雑な結論になっちゃいますが、もし健康な肉体を持っているのなら、それが一番生活の質を上げるんです。

丁寧な生活なんぞ送らんでも、生活が営めているのならそれが一番尊いことなんですよ。

少なくとも月曜から家にいる時間の1/3はトイレに居るぼくが言うんだから間違いないっす。

トイレで神様に祈りながら過ごす時間がいっちゃん不毛なんだから。

じゃあまたトイレの神様にお祈り捧げてきます。

 

塗りつぶしてやる、全てを

最近は郵便物とか宅急便の送り状とかに書かれている住所や名前などの個人情報を黒く塗りつぶすことにハマっています。

まあどうせ千切って捨てるのだし、塗りつぶせたと思ってもたまにインクが透けて見えたりすることもあるしで、正直意味があるのかと問われると無意味よりな行為な気がしないでもないのですけども。

でも一度やり始めてからというものの、その無意味な行為をしないと気が済まなくなっている自分がいるのもまた事実。

 

最初は家にある極細サインペンでガシガシ塗りつぶしていたけれど、どうにも塗る面積の効率が悪い。インクがテカって透けることも多い。

どうしたものかとインターネッツ集合知を人工知能に精査してもらった結果、どうやら筆ペンの墨で塗りつぶすと良い感じらしい。

早速筆ペンを買ってきて、塗りつぶしてみます。

 

筆ペンなんて友人の結婚式用にご祝儀袋の名前を書くぐらいにしか使ってこなかったのですが、筆で紙に書くという動作や感触があまりにも懐かしい気持ちを思い起こさせます。

この筆が紙の上を滑る感覚が、小学生の頃にあった書道の時間や水彩画を描いた図工や美術の時間を思い出させるのです。

なんとも懐かしい温かな気持ちに心穏やかになりながら宛名を塗りつぶします。

宛名はテカっています。サインペンと変わりません。

フ〇ッキューインターネッツ集合知。ファ〇キュー人工知能。

698円の無駄遣いです。

 

とはいえ筆で紙をなぞる感触が気持ちよく、今でも筆ペンで宛名を塗りつぶしています。

「写経の気持ちよさってこういう気持ちなのかしら」

そんなことを思いながら、ぼくも一心に集中して宛名を消します。

一回一回心を込めて線を引きます。必要最小限のはみ出しで塗りつぶせた時の得も言われぬ達成感たるや。

たまにテカって浮かびあがる宛名もありますが、それもまたこの世の理なのかもしれません。全てを許しましょう。消える宛名も、消えない宛名も。

最後には千切って全てが無になりますので。

 

そうして宛名をきれいに塗りつぶし、千切った後はなんだか清々しい気持ちになりますね。

……ふと視線を落とすと机が真っ黒になっています。

どうやらインクが裏に染みこんでしまったようですね。

そういえば裏に敷くのをすっかり失念しておりました。

 

今日ぼくは泣きながら除光液や家庭用洗剤で机をきれいにしていました。

みなさんはちゃんと裏紙敷こうね(涙目

 

よく分からなくてもいいし、途中で投げ出したっていい

ちょっと前の動画の話にはなるのだけれど、登録していたのにオススメにあがってこなくて見逃していた『QuizKnockと学ぼう』チャンネルの誕生日に須貝さんと伊沢さんとで本を送りあう回を見ました。

 

誕生日だし好きな本を買ってプレゼントし合っちゃおう【誕おめ】

youtu.be

 

www.youtube.com

 

こちらはお二人の本屋の回り方だとか、贈り物の考え方だとか、お互いの考え方だったり、お互いの印象だったりを覗ける、ちょっとプライベート感ある動画でしてね。

二人とも別々に行動しているのに対談のような掛け合いにもなっていて、二人ともお互いのことよく分かってんねえって思いました。

そういうてぇてぇ(もしかして死語か?)も良かったのですが、個人的に印象に残ったのは伊沢さんの電子書籍について語っていた部分だったりします。

 

新書って当然ながら当たりはずれがある。全ての本にありますけど、特に新書はそれが激しい気が僕はしてます。なので途中で読んでて投げ出したくなることもありますし、投げ出した本いっぱいあるんで。そういう時に物があるより、電子のほうが気持ちが楽なんですね。

動画内4分30秒辺りから

 

まあ当たり前と言えばそうなんですけど、伊沢さんぐらいになっても当たりはずれとかがあって、投げ出したいと思うんやなと。

勝手ながらやっぱりぼくみたいな凡人からすると、頭のいい人ってそういうのを上手く回避して私失敗しないのでってなるか、あるいは速読とかで身になりそうなとこだけパパっと処理しちゃうのかと思ってましたけど、意外と同じ気持ちになるんだなぁと少し嬉しくもなり。

そういえば『乱読のセレンディピティ(外山 滋比古著)』でも“買った本は途中で投げ出しても自由だから良い”みたいなくだりがあったなと思い出しました。

ちなみにぼくはその部分を読んで大変感銘を受けまして、ありがたくその本を読むのを挫折させていただいたんですけども。

まあ合う、合わないがあるのはしょうがないとは分かっているのですが、せっかく買ったんだから読まなきゃとか、ここまで読んだ時間が無駄になっちゃうとか、生来の貧乏性がどうしても出てしまうものでして。

でもこういう人たちが投げ出しても良い、別にそれは自由だからええんやでと言って下さるだけで、なんというか自縄自縛の呪いが解けるというか、それで良いんだと自分を肯定されたような気持ちになりました。

我ながら単純というか影響されやすいとも思いますけどね。

でも本当に譲れないものじゃなければ、それで良いんじゃなかろうか。

 

そういう向き合い方というか、気持ちが少し楽になったことと言えば、最近刺さった動画がもう一つありまして。

 

【堕落こそ正義】15年の引きこもりから芥川賞作家へ!異色の小説家・田中慎弥の脳内を暴く!

youtu.be

 

www.youtube.com

 

「分からなかった」というのも一つの感想だと思いますよ。

(中略)

分からないものを読んで「何だこれは?」と思うのも一つの感想じゃないでしょうか。

分かるものだけ読んで分かんないものは読まないっていうのは、それはもったいないと思います。

動画内9分40秒辺りから

 

分からないなりになんとか最後まで辿り着いた時に振り返ったり、感想を書き留めておこうと思っても結局「わっかんねぇ」しか出てこないことが往々にありまして。

そういう時、自分の力量というか知識不足なのかなぁとちょっと嫌な気持ちになったりするんですよね。

それでそのジャンルを敬遠しちゃったり、まして投げ出しちゃうみたいなこともあったりで。

そうするとより一層嫌悪感というか罪悪感みたいなものが募ってきて、どんどん難しいものとかから手が遠のいてしまう。

でもそれってせっかく読み終わるまで行けてるんだから、むしろもったいないよなって。

以前読んだ『読書する人だけがたどり着ける場所(齋藤 孝著)』にも“難しい本は分かんなくて良くて、読み切った自分すごいという達成感だけでも良いんやで”(うろ覚え意訳)みたいなことが書かれていた気がしますし。

そう思うとやっぱりこれも自分でちゃんとやらなきゃという呪いをかけてしまっただけで、もっとカジュアルにそういうものなんだと受け入れる寛容さが大事なのかもしれない。

 

今回取り上げた動画ではどちらも読書についての話でしたけど、これって別に読書に限った話じゃなく、色んなジャンルへの向き合い方に活かせると感じてまして。

特にこの間スパイダーマンを観に行ったときに思ったんです。

あの作品って単品だとよく分からんキャラとか、エピソードが平気でぶち込まれているんですよね。

以前の記事にも書いたんですけど、ぼくはエンドゲーム以降のMCUはよう分からんし、前作しか観てない状態だったので、観に行くかどうか正直悩みました。

でも前作からどうなるのかは気になるし、劇場の大画面で観たいよなぁという思いもあり、ちょっと動画を見て前向きな気持ちになれたのもあって、まあ分かんねぇならそれでも良いかと観に行きました。

案の定知らんキャラが何人か出てきましたが、それはもうしょうがないです。分からんもんは分からん。

ただ今回は運が良くて、分からないなりにも楽しめるものでした。

しかしながら運悪く全然意味分からんとなる可能性もあったわけで。

でも知らないから、分からないからで敬遠するよりは気になる、興味がある、面白そうを優先しても良いんだよなと。

その結果、分かんないってなったら、そこからどうするのか考えれば良いし。

なんなら合わなければ投げ出しても良いわけですからね。

最近劇場に行くようになったり、新しいゲームとかをかじってみたりできるようになったのは、間違いなくこうして呪いを解いてもらったお陰な気がしています。

あとこうして記事をちょくちょく書くようになったのもね。

まあ続かなくなって途中で投げ出すかもしれませんが。

でも今は心の赴くままに楽しいことをして進んでいこうと思います。

 

大いなる責任は独りでは背負いきれない【スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ】

ぼくは一度熱すると冷めるまで擦り続けるタイプでして、先日観てきた『オークストリートの異変』の熱が冷めやらぬ中、今度は『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』を観てきました。

もちろんIMAXで。せっかく劇場まで行くんだから、IMAXでやってるならIMAXで観たほうがオトクってもんですよね。

 

あらすじ

『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』の出来事から4年が経ち、大人になったピーターは、愛する人たちの生活や記憶から自らの存在を消し、一人で生活していた。

自分の名前が一切知られていないニューヨークで、日々犯罪と戦い、スパイダーマンとして街を守ることに全力を尽くしている。

しかし人々のスパイダーマンへの要求が高まるにつれ、そのプレッシャーが自分の存在そのものを脅かす、驚くべき身体的変化を引き起こす。

一方、街では不可解な犯罪が頻発、かつて直面したことのない最強の脅威がスパイダーマンに迫る――。

SONY PICTURES 2026年3月18日報道資料より抜粋

https://www.sonypictures.jp/corp/press/2026-03-18-0

 

ひょんなことから『アベンジャーズ ドゥームズデイ』の予告をYoutubeで観てしまい、『エンドゲーム』で燃え尽きていたマーベル熱が再燃したこともあって、「久々にヒーロー映画と洒落こむか!」という気分になったのが観に行くきっかけでした。

ちなみに『エンドゲーム』以降のMCU作品は『ノー・ウェイ・ホーム』しか観てません。

それ以降のMCUの流れで知っていることはカーンがディズニーという強大な征服者に消されたことぐらいですかね。

そのレベルの知識の人間の感想だということを踏まえていただけると幸いです。

 

一応ネタバレはそこまでしないつもりだけど、さすがに多少はストーリーに触れてしまうので感想は折り込んでおきます。

何の情報も入れたくないという方は、そのまま回れ右してくださいね。

 

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異変があっても引き返せない【オークストリートの異変】

どういったアルゴリズムで嗅ぎつけられたのか不明ではあるが、Youtubeのオススメに突如予告が流れ着いてからずっと気になっていた映画『オークストリートの異変』を観てきました。

しかしYoutube君はどうやってぼくがパニックやポップコーンムービー大好き人間だと勘づいたんだ。

最近はバイオハザードとかサイレントヒルとかアベンジャーズとかの予告しか見てなかったのに……。(バレバレ

 

oak-street.jp

 

あらすじ

平和な街オークストリートで、平凡な暮らしを送るプラット家。

しかしある日を境に、街では不思議な現象が発生。

ついには水道や電気が止まり町は断絶状態に。さらに、絶滅したはずの恐竜が街中に出現し住民を襲い始める。

はたして家族は、襲い掛かる様々な恐竜から逃げ延び、異変から脱出することが出来るのか?

公式ページより抜粋

 

このあらすじを読んだとき、君は、きっと言葉では言い表せない「ときめき」みたいなものを感じてくれたと思う。

ぼくは平成の風を感じました。

地上波でまだ映画がやっていた時代に観た、なんか名前も聞いたことない有名ではないんだろうけど勢いとかワンアイデアで駆け抜けていく洋画の数々。

考えさせられるとか、学びがあるとか、緻密なシナリオとかではなくて、もう純粋に「こういうのが面白いんだからこうすんだよ!」というエネルギーの塊でドッジボールする感じ。

そんな平成臭バリバリのエンタメ作品が教養・考察第一主義の現代(あくまで個人的な感想です)において、夏休みの真っ最中、しかもちいかわとスパイディでバチバチの劇場環境でIMAXの枠とってもらえるなんてね。

こんな機会はもうないかもしれないのでありがたくIMAXで観させていただきました。

 

■感想(ネタバレあまりなし)

 

観る前はそこまで激しくなかったり、ちょっとしか恐竜出ないのかなとか、ジワジワ異変が出てきてみたいな展開なのかなと思っていたのですが、わりと最初のほうからフルスロットルでちょっと面食らいました。

上映時間100分も相まって「細けぇこたぁいいんだよ!」と感動も恐怖も余韻とかなしにずかずか進んでいきます。これには現代のドーパ民(個人的にはこっちに流行ってほしい)もにっこり。

というかマジで少し休ませてってレベルで畳みかけてきます。ルール無用すぎる。

ルールといえば本作の恐竜は別の恐竜映画とは違って、老若男女問わず見境なく襲い掛かるし、平気で食います。フィジカルも最強なので基本的に銃も効かない。

とにかく人間側の無力さがヤバいので襲撃一回一回がかなり緊張感あるものになっていて、とても良かったですね。シュワちゃんとか居たらマジで銃だけで何とかしそうだしな。

 

それからこういうちょっとB級みたいな作品ってどうしても映像だったりCGに難ありな作品が多かったりしますが(公式サイトトップの画像とかもかなり怪しい)、実際に本編で観るとかなり頑張ってる。

さすがにIMAXでやれるだけあって、動画で観るとそこまで違和感はない。というか静止画がひど過ぎる説まである。

もちろん粗はいくらでもあるんですけど、まあ逆にめちゃくちゃ美麗なCGだったら逆に無駄遣い感もあるので、これぐらいのラインがちょうど良いまであるのかもしれません。その基準なら逆に良過ぎるかもしれんけど。

 

総じて100点満点の最高の愛すべき70点(人によっては65点ぐらい)映画だと思います。

まあ人を選ぶので配信だったり地上波だったりでやったらオススメできるんですが、劇場まで観に行くべきかというと、かなり悩むラインではある。

実際、前の席で観てた人は終わった後に「スパイダーマン観れば良かった」と言っておりました。それはそう。どっちかしか選べないなら大多数はそうすると思う。ぼくは……まあ変わってるという自覚あるから……。

ただ大画面で木曜・日曜洋画劇場とか午後のロードショーを浴びたい人にとっては、こんな機会なかなかないんじゃなかろうかと思う。しかもIMAXもある。

そういうの大好きな人にはマジで刺さりまくると思いますし、この機会を逃すと次にIMAXでこういう類の映画がいつやるかも分かんないですから。

気になった(というかこの作品が気になる人なんて大概ちょっとお下品な洋画好きでしょう(決めつけ))人はやってるうちに行こうね。たぶん期間は長くないから。

 

部屋に光あれ

以前、居室の電灯が壊れて点かないという話を記事にしたんですけども。

 

dehodai.hatenablog.com

 

あれから3週間ぐらいですか。

さすがにそこまでの時間を過ごすと、暗い室内にも慣れ始めてきましてね。

「人類は電気が発明されるまでは薄明りの中で過ごしたものよ」だとか、「夜に爪を切ってはいけないというのは、どこに切った爪が飛んで行ったのか分からなくなるから踏んで危ないからだ(1敗)」だとか。

そんな昔の人々に思いを馳せる余裕もできてきました。

「もうこのままでも不自由ないわ、ガハハ」などと供述してみたり。

 

でも賃貸だからぼくがどう思おうとそのままというわけにもいきません。

なんならぼくが退去する時に壊して出てったみたいな話で問題になっても困りますし。

というわけでお盆の最中だというのに業者に来ていただきました。本当にお疲れ様でございます。(日程は業者に指定してもらいました。念のため)

 

写真だとあんま明るさを感じない……

業者は『光あれ』と言われた。すると光があった。

という感じで、まあ作業自体はもう電灯を取り換えるだけなので、マジで10分ちょいで終わった。

本当に『光あれ』と言ったら光があった感じ。

なんならこんなあっさり終わるならもう少しヘルシーな時間に立ち会わせてくれよと思ったぐらい。(朝8時から作業開始)

 

といった具合で部屋に光が戻りました。

久々に部屋がなんというか文明的な印象になりました。

まず夜でも床が見えます。爪も切り放題です。ご飯粒も落とせます。

 

あと元々は蛍光灯だったんですが、LEDになったことでリモコン操作がしやすくなりました。

今までは消灯するのに3回ぐらいリモコンを押す必要があったのですが、消灯ボタンが付きました。

こいつはとんでもない画期的な代物で、なんと一発で電気を消せる優れものなのです!

……いや、今までの設備がゴミだっただけでは?

 

ただ電気が戻ってきたことで大きな恩恵があるかと言われると、暗くて諦めていたことができるかもぐらいのぼんやりとしたことしかなく。

停電とは違って、ディスプレイは光るし、玄関の電気は点くし、デスクライトとかの光源は使えるしで、完全な暗闇でもなかったですからね。

それでも照らされることで安心感は違う気がするんです。

やっぱり暗くて見えないところがあるとちょっと不安感あるんですよね。

自分の部屋だから大体の把握はしているけど、物の配置とかにはちょっと注意を払うというか。

そういう意味では自分の憩いの場がやっと戻ってきたという感じがします。

 

このありがたみを噛みしめてこれからは夜も活動していこう。

まずは爪切りから!